親が何かをやってしまってから、「それ、やりたかったのー!」。
ちょっとやめてほしいことを子供がやっていて「やめて」と言った瞬間に「いやだー!」
何かに没頭していると思ったら失敗したらしく「うわーー!(モノを投げたり」
そんなことってありませんか?
一旦子供のボルテージが上がるとなかなか対処に困りますよね。
そんなときの我が家の解決方法を共有したいと思います。
最初は時間がかかるかもしれませんが、子供に浸透すると子供が前向きな反応を示すようになってくれる嬉しい効果のある方法です!
~当ブログの簡単なご紹介~ 3年間子育てに真剣に取り組んできて、問題にぶつかるたびに悩み、試行錯誤をやってきて、 職業であるコンサルタントとしての考え方との類似点を多く見つけたもこみっけが、 これまでに悩んだこと、学んだこと、実践してみたこと、気付いたことを書いていくブログです。
一番頑張っているのはもちろん言うまでもなく息子自身ですが、
そんな息子も日々壁に挑み、成長中。あくまで成長の指標として、現在のIQは170とのこと。
ぶつかった壁を赤裸々に書いていくことで、読者の皆さんとの交流を通して、 私の家族も含め、多くの家族にひとつでも多くの笑顔が増えたらいいなと思いながら書いています。
この記事はこんな同志に読んでほしい!
- 何にでも「自分がやる」と言う子供への対処法に困っている
- 子供が激しい感情を見せると対応に困ってしまう
- やってほしいことをお願いしても「イヤ!」「ヤダ!」と言われてしまう・・・
何でもやりたがる息子との接し方
やりたいという感情自体はとても素晴らしい
うちの息子は2歳前後くらいから何にでも「自分が!自分が!」と言って、
何でもやってみようとします。
これは私の子育てのモットーからしても大変素晴らしいことで、
とてもとても嬉しいことです。
↓モットーについては以下の私のプロフィール前半を御覧ください。
息子が「やりたい」と言ったことについて、
どれだけ実現させてあげられるかが私の大きなミッションだと捉えています。
「やりたい」と言われたときに考えていること
- 自分がもし今「やらせたくない」と思った場合、それは息子の都合なのか、それとも大人の都合か
- 大人の都合なら、迷わずやらせろ!後始末の覚悟を持て!
- 一人でやって身の危険はないか
- 手伝ってあげることで身の危険はなくなるか
この考えのフィルタを通過すると大半のことはやっていいという答えにたどり着きます。
テーブルや床が汚れようが、洗面台の下が水浸しになろうが、服が汚れようが、靴が濡れようが、あとで対処すればなんとかなることはあとで対処すればいいやとそんなふうに思えてきます。
そんなこと言っても大人も嫌なことはある(やめさせなければならないこともある)
ここまで読んでいただいて聖人君子か!?
実はその後の家事は妻任せか!?と思われた方もいらっしゃるかと思います。笑
妻とは都度話して考え方の足並みを揃えながらやってはいるので、
片付けを家族全員でやることはありますが、息子と二人のときに発生したことは基本的には妻に頼らず対処しています。
そして、もちろん、「いやぁ、それはやってもらっては困る・・・」ということはたくさんあります。
・クレヨンで壁に書く
・洗面台で貯めた水をリビングに持ってくる
・作った食事をいろいろ混ぜた結果、食べない
・バナナを一人で剥いて食べようとして途中で折れてしまったから新しいバナナを食べたいと言い出す
・息子が食べる割けるチーズの袋を私が開封してしまって、「自分がやりたかった。新しいの出して」と言い出す
等々々々々々々々々々(たーくさん。笑)
皆さんもそうだと思いますが、
全てが全てやらせてあげられるわけではないし、後出しで「やりたかった」と言われ、泣かれ、
途方に暮れることもあるのではないでしょうか。
これらのような息子がやりたいと言った、やったときに、
「これはやれない」と言わなければならない局面はたくさんありますよね。
今回の記事では、「なんでもやらせてあげる」ことに対する考え方や対処法ではなく、
こうしたなんでもやらせてはあげたいがそれでも「やってほしくないこと」に対して「やれない」と伝えるときの、我が家での対処法についてです。
自分がやらせてもらえなかったときの息子の激情
うちの息子は自分のイメージ通りにやれないと感情を高ぶらせます。
大きな涙をポロポロ流しながら大きな声で泣きます。
これが外で発生すると、公園ならまだしも、特にスーパーの中などの室内で発生すると、
正直大人としてはかなり周りの目が気になります。。
ただ本当に悔しいのだと思うのです。
あれだけ大きな涙を実際に流して泣くのですから、親としてはさすがにフェイク泣きではないと信じたい。
特に私はこの強烈な「悔しい」という感情をとても大事なことだと思っていますので、
この「悔しさ」に対して水を指すようなことは最大限避けなければならないと思っています。
↓「悔しさ」の大切さについて触れた過去記事はコチラ
激情を静め、前を向くための「共感×∞+叱り+共感」
では、どのように対処しているのか。
一言で表現すると「共感×∞+叱り+共感」です。
息子が「やりたかった」という過去の感情に整理を付けるまで、
「やりたい」という感情が落ち着いてくるまで、
とにかく考えうる「やりたい理由」を並べながら抱きしめます。
「わかるよ。」
「そうだよね。」
「~~がやりたかったんだよね。」
「~~がどうなるか気になったんだよね。」
「チャレンジしたい気持ちになったんだよね。」
「悔しかったね。お兄ちゃんになる種をまた見つけたね」
息子が頷くようになるまで言い続けるというのが一つの目処でしょうか。
息子に私の声が届くようになったと感じたら、最後にもう一度共感します。
「やりたい、チャレンジしたいという気持ちをこんなにも教えてくれてありがとう。」
「パパはすごく嬉しいよ。パパもね、息子がやりたいこと全部やらせてあげたいもん。」
ここで頷いたり、追加で自分の言葉で情報を出してくれるようになると、あともう一歩。
「そうだね。だけどね、ちょっとパパからお願いがあるんだー。聞いてくれる?」
ここでもう一度悔しい気持ちが再燃してしまうこともあります。
そうしたらもう一度共感からやり直し。
もし頷いてくれたらゆっくり話し始めます。
・クレヨンで壁に書く
→クレヨンはね。紙に書こうね。お願いできる?
・洗面台で貯めた水をリビングに持ってくる
→水で遊ぶときは水を使っていいところでやろうね。手を洗うところとかはどう?
・作った食事をいろいろ混ぜた結果、食べないということを繰り返す
→おいしくなかったんだよね。ごはんはおいしく食べたいから、おいしくないって分かっ たらもうやらないようにしようね。お願いしても良い?
・バナナを一人で剥いて食べようとして途中で折れてしまったから新しいバナナを食べたいと言い出す
→もう一度チャレンジすればいいよ。何度だって失敗していいよ。
だけど、次食べるときにチャレンジしようね。今のバナナがかわいそうだ。
・息子が食べる割けるチーズの袋を私が開封してしまって、「自分がやりたかった。新しいの出して」と言い出す
→ごめんね。今回はパパがやっちゃった。だけど、次食べるときにチャレンジしようね。今のチーズがかわいそうだ。
もちろん、ここで悔しい気持ちが再燃してしまうこともあります。
そしたらもう一度共感からやり直し。大変に根気のいる作業です。
もし頷いてくれたり、自分から考えを口に出してくれたら、最後一言伝えて終わりです。
「お話を聞いてくれてありがとう。そんなに悔しいと思える息子がパパはとても誇らしいよ。」
そこで、いそいそと折れたバナナを口に運びはじめたときはとても嬉しい気持ちになります。笑
一度ここまでしっかりとお話ができると、再発することが劇的に減り、
仮に発生してもその後に自ら「悔しい気持ち見つけた」「お兄ちゃんの種見つけた」と折り合いを付け始めます。
そんなときはぎゅっと抱きしめて、「そうだね。よくがんばったね。」と伝えます。
この声掛けでもたらされる効果
まず息子の気持ち自体は一切否定していません。
全面的に息子の気持ちを肯定しながら、やってほしいアクションを伝えています。
そのあとも「こうあるべきだ」ではなく、あくまで「パパからのお願い」です。
大人も同じなのです。
10年コンサルをやってきてわかったことがあります。
人間は自分が否定されるとその人を否定したくなります。
否定したいと思っている人の意見に耳を傾けてはくれません。
仮に正しそうなことを言っていても「それは正論だ。しかしお前は分かっていない」と反発されてしまうのです。
「べき論」というのは大半のケースで鬱陶しく聞こえます。
結論を押し付けられているように感じて反発できる理由を探すか、
仮に納得したふうだったとしても、そのあとのアクションが全く伴いません。
これだと結局問題が解決できないことが多いのですよね。
完全にイニシアティブを取って強権を以て指図する方法でも良いかもしれませんが、
この方法ばかりだとクライアントとの心の距離(人間関係)は離れる一方です。
子供も同じなのではないかと、私は思います。
このコミュニケーションを成り立たせるための前提準備
このようなやり方で叱ろうと思ったとき、同時に取り組んだことがあります。
2つあると思っています。
一つめ。
正しいアクションを日々伝え続けること。
「クレヨンは紙に描く描くだねー」
「水は手を洗うところで流す流すだねー」
「バナナは食べる食べるだねー」
「本は読む読むだねー」←小さい頃、本のページを破りまくることありますよね。笑
0歳児のときからひたすらに正攻法のインプットです。
問題行動のあるなしに関わらず、とにかく「正しい状態」を伝え続けました。
月齢が上がれば、「クレヨンはー?紙にー?」と言って「描く描く♪」と子供に言ってもらったりしました。
これにより、パパからのお願いを出来る限り自然に受け止められる環境を作りました。
二つ目。
「やったこと」については一切非難しないこと。時にはやってみたこと自体は褒める。
何かを零す→「零したら拭けばいいねー」
壁に落書きする→「書いちゃったら消せば良いねー」 ※完全には消えない。笑
バナナが折れる→「折れちゃっても食べちゃえばいいねー」
ページが敗れる→「破れたら修理すればいいだけだねー」
「失敗」や「うまく出来ないこと」自体は何ら問題ではありませんので、
その点とは明確に切り離して会話するようにしています。
こちらも強い意識が必要です。
何も考えていないと「わ!何やってんの!!(ダメじゃないか!)」から入ったりしてしまいますから。
私の工夫としては、まずそういう局面に出くわしたら「あらー?」と優しく言う癖付けをしました。
人間なので、第一声を発しないというコントロールは難しいですから、もし出ちゃってもできるだけ優しい響きのものを、と。笑
こうしたことを続けてきたのは、「どうせ失敗するからやらなくていい」ではなく、
「別に失敗したっていい」「イメージどおりにできなくたっていい」というマインドを持ち続けてほしいからです。
とはいえ時には強く叱る必要もある
身も蓋もないことを言いますが、時に強く叱る必要があることもあると思います。
・道路に飛び出そうとした【危険度が高すぎる】
・相手に大きな危害を加えようとした【被害が大きすぎる】
今までの方法でいけないことであると伝えているにもかかわらず、
このようなことが行われそうになった。もしくは行ってしまったときは、
強く叱らねばならないときもあると思います。
そのときにも、何を叱っているのかを明確にしてあげたいと思います。
道路に飛び出したことは叱られるべきことですが、
話を聞いてみたら見ていた正しく信号を見たつもりだが他の信号を見ていたということかもしれませんし、
危害を加えようとしたこと自体は叱られるべきことですが、
話を聞いてみたら先に手を出されていたということがあるかも、しれません。
感情に任せて怒るとその裏側の感情を見逃してしまう恐れがありますから、
仮に強く叱ったとしても、感情的に怒らないようにしたいと心に誓っています。
そして、どういうときに「強く叱る」のかというのはご家庭ごとにルールを決めておいたほうがよいと思っています。
パパとママで強く叱るポイントや理由が違うと子供が混乱してしまいますから。
このルールを決めるという作業をわざわざすることで必然的に多用されなくなりますから、
いざ「強く叱った」ときの効果が強くなるという面もあると思います。
「止まって!」「〇〇(名前)!」「やめなさい!」
こうした声掛けが子供にとって日常でなければないほど、
子供はびっくりして停止するはずです。そして、そのあとたくさん泣くと思います。笑
そのときに、しっかりと目を見て、名前を呼んで、どうして強く叱ったのかを共感を交えて丁寧に説明し、最後に「〇〇(名前)ならわかってくれるって知ってるよ。ありがとう。」と抱き締めてあげる。
そうすることで、その時の話が深く深く子供に刻まれることになると思っています。
みなさんのご家庭ではいかがでしょうか
いかがでしたでしょうか。
我が家の考え方をここまで書いてきました。
皆さんも同じことに悩んだことがあると思います。
是非、先輩、同志の方々でこんな解決策もあったぜというお話があればコメント等いただけると嬉しいです。